東京高等裁判所 昭和52年(ネ)383号 判決 1978年5月23日
控訴人 堀節治
右訴訟代理人弁護士 藤川成郎
被控訴人 國
右代表者法務大臣 瀬戸山三男
右指定代理人 小野政一
<ほか二名>
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人
原判決を取り消す。
被控訴人は控訴人に対し金八〇万五、三九四円及びこれに対する昭和三八年七月四日から支払いずみまで日歩四銭の割合による金員を支払え。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
との判決ならびに仮執行の宣言。
二 被控訴人
控訴棄却の判決。
第二主張及び証拠
原判決事実摘示中該当部分を引用(ただし「原告」又は「被告」とあるのを、「控訴人」又は「被控訴人」と、五枚目裏五行目「述いても」とあるのを「除いても」とそれぞれ改める。)したうえ、次のとおり附加する。
一 控訴人
1 仮りに控訴人が本件二口の債権及び大木ミヨ名義の貸金債権二五〇万円の元利金に対し、八三〇万円の弁済を受けたとしても、右弁済金はまず元本に充当されることが当事者間で合意されていた。このことは、東京地方裁判所昭和三四年(ワ)第二八七号事件につき昭和三六年七月一九日成立した裁判上の和解において明らかにされているのみならず、このように元利金(及び損害金)の一部弁済残額免除という形で和解をする場合には、弁済金をまず元金に充当し、利息、損害金中不足部分を免除するというのが通常のやり方であり、またそれが当事者の意思に合致するものである。それ故本件の場合においても、右八三〇万円中四三五万八、九五〇円は右三口の債権元本に充当され、残り三九四万一、〇五〇円は昭和三〇年より前の損害金の一部に充当され、右昭和三〇年分の損害金の弁済に充当される余地はなく、結局右損害金債権は貸倒れに終ったものである。なお別表(一)記載の各貸付日、弁済期、利率、遅延損害金の率及び利息支払い済みの点は認める。
2(一) 控訴人は昭和三二年本件所得税更正処分の取消を求める訴訟(差戻後の第一審東京地方裁判所昭和三六年(行)第八五号事件、以下単に「別件訴訟」という。)を提起し、右訴訟において昭和三九年中に右更正処分において所得と認定された損害金債権が昭和三六年七月に貸倒れとなったことならびに当該更正に係る所得税が徴収済みであるから右貸倒れに係る所得に相当する分は控訴人に返還されるべきであると主張した。
(二) 課税処分の取消訴訟は、本来違法な課税処分を取り消すことにより当該処分に基づく租税債権が存在しないことの確認を求める訴訟であり、右訴訟における処分取消の確定判決は関係行政庁を拘束し、右処分に関連して生じた違法状態を解消して原状に復せしめる義務をこれに負わしめるものであるから、取消訴訟の提起は、当然にかかる原状回復についての権利主張を含むものである。そして右の権利主張は、処分取消の結果としての原状回復義務、すなわち本件についていえば徴収ずみ税金の返還義務に関し少なくとも時効中断事由としての催告の効果をもつものと解すべきである。そう解さないで、被控訴人の主張するように、更正取消訴訟を起した者でも、当該更正による税金を徴収された後は、別にその返還請求を起さなければ、時効期間の進行を阻止しえないとすることは、著しく不合理である。控訴人は本件と同一の原因によって貸倒れが生じた昭和二八年分の徴収税額については、更正取消請求訴訟の却下判決が確定した後不当利得返還請求訴訟を提起しているのであって、本件昭和三〇年度分の徴収税額については、前記取消訴訟によって権利救済を得られると考えて二重に訴を提起しなかったのであるが、このことは被控訴人においても十分認識していたはずである。すなわち、被控訴人は前記取消訴訟における控訴人の主張が本件不当利得返還請求の意思を含んでいることを了知していたのである。従って右主張は催告としての効力を有するとして妨げない。
(三) 課税処分の取消を求める訴訟の被告が原状回復義務者である國ではなく、行政庁であることや、過誤納税金の還付請求手続が別に法定されていることは、上記権利主張を本件不当利得返還請求権に関する催告と認めて時効中断の効力を与えることの障碍にはならない。行政庁は國の機関として形式的に当事者能力を付与されているにすぎず、行政処分により形成される法律関係は、國に帰属するものであるから、訴訟上で税務署長に対して行われる権利主張は、國に対して行われたものとして取り扱うのが相当である。(昭和三七年法律第六七号による改正前の國税徴収法第一六一条等に定める過誤納税金還付請求が税務署長に対して行えるというのも同一の事理に基くものである。)また、右第一六一条所定の還付請求手続は争訟手続でもなく、他の方法による還付請求権の行使を排斥するものと解すべきではなく、課税処分の取消請求訴訟または普通民事訴訟による権利行使を妨げるものではない。
3 被控訴人主張の2のうち、控訴人が税務調査を忌避し、事実を穏ぺいしたとの点は否認する。
4 《省略》
5 《省略》
二 被控訴人
1 控訴人主張の裁判上の和解における充当の合意は通謀虚偽表示によるそれで無効であり、控訴人が昭和三六年七月一九日に弁済を受けた金八三〇万円は、民法第四九一条に則って、本件二口の貸金及び大木ミヨ名義金二五〇万円の貸金債権の元本、利息、損害金に充当される結果、別表(一)、(二)の計算により、昭和三〇年分の損害金は右三口とも全部弁済を受けたことになる。すなわち、控訴人主張の貸倒れは発生していない。
2 仮に貸倒れの事実が存在するとしても、本件不当利得返還請求訴訟はその実質においては後発的な債権貸倒れの事実の発生に基づいてさきになされた課税処分の効力を争う訴訟にほかならないから、右訴訟における訴訟物をなすものは当該租税年度における租税債務すなわち課税標準の存否であり、これについては課税庁側において原処分の理由とされなかった別の所得の発生を主張立証することもできるのである。そして控訴人には昭和三〇年中に別個の雑所得があったことは、原審において主張したとおりである。
3 所得税法上(昭和三七年法律第四四号による改正前のもの)、雑所得として認定された未収入金が後発的貸倒れを生ずるに至った場合、右貸倒れ所得に対応して徴収した税金相当額を不当利得としてその返還請求権が認められるのは、主として正義公平の原則に立脚すると考えられるが、その場合でもかかる不当利得返還請求権が認められるためには、右貸倒れの発生とその数額が格別の認定判断をまつまでもなく客観的に明白で、係争年度における課税所得及び税額の決定につき課税庁に認定判断権を留保する合理的必要のない場合に限られるのである(最高裁昭和四九年三月八日第二小法廷判決民集二八巻二号一八六頁)。
しかるに、控訴人の主張する本件貸倒れの事実は前記のとおりであり、貸倒れの有無及びその金額は裏取引による八三〇万円の弁済の事実が判明し、かつ、これにつき弁済充当がなされてはじめて確定すべきものであるから、それが客観的に明白であったとは到底いえないものである。
のみならず、控訴人は、所得税法上の雑所得の基因となる貸金の税務調査に際し、その貸金の動きが極めて複雑であるにもかかわらず、所得金額算定にあたって調査を忌避しておき、更には課税を回避するため虚偽の和解調書を作成するなどして真実を隠ぺいしていたものである。このような状況においては、すでに確定した適法な行政処分に優先して、あえて不当利得の法理である正義公平及び信義則を適用して控訴人に不当利得請求権を認めることは、租税法体系を乱すだけではなく、租税正義にも反するものとして到底容認することはできない。
4(一) 別件訴訟は、行政訴訟であって、不当利得返還を求める本件訴訟とは訴訟物を異にする。更正処分に従って納付された租税が誤納であって、その返還請求権があるということは、更正処分の無効又は取消が是認されることによってはじめて確定するものであるから、別件訴訟における攻撃防禦方法には本件の訴訟物である不当利得返還請求に関する主張が入り込む余地は全くなく、控訴人は単に所得の不存在を主張したのみで納付税額の返還義務の履行を求める意思を表示しなかったのであるから、右主張が履行の催告に当らないことは明らかである。
(二) 後発的理由に基づく既徴収税金についての不当利得返還請求権の成立は、更正処分の公定力によって何ら妨げられることはないということをその前提とするものであるから、控訴人は更正処分の取消を求める必要はなく、更正処分取消訴訟の判決を待たずに本件貸倒れの発生当時から訴訟上の請求をすることが可能であったといわなければならず、したがって、別件訴訟が係属していたことを理由として本件不当利得返還請求権の消滅時効の進行が中断されていたものとはいえない。
5 仮りに控訴人主張の不当利得返還請求権が存在するとした場合、被控訴人は、控訴人の未納付税額、すなわち昭和三〇年分所得税の利子税六五万六七二〇円及び延滞加算税五万六二五〇円と控訴人の右請求債権とを対当額において相殺する。本件不当利得は実質的には租税の過誤納金と同様の性質を有するから、國税通則法一二二条の規定にかかわらず、相殺が可能と解すべきである(同法五七条参照)。
6 《省略》
7 《省略》
理由
一 まず、原判決理由の冒頭から一二枚目裏二行目までの記載を、次のとおり附加訂正したうえ、ここに引用(ただし、「原告」とあるのを「控訴人」と改めて)する。
1 八枚目表四行目「甲第八号証」の次に「、同第一二号証」を「第九号証に」の次に「原審における」をそれぞれ加入する。
2 八枚目裏一行目「建物」の次に「(第一物件目録記載(一)、(二)の物件)」を加入する。
3 同三行目「土地、建物等」の次に「(第二物件目録記載(一)ないし(三)の物件)」を加入する。
4 九枚目表末行「金八五〇万円」の前に「とりあえず」を加入する。
5 一一枚目裏一行目と二行目の間に「(六)張圭七の前記不動産買受代金は結局一六八〇万円とし、控訴人に対する右八三〇万円の支払いにより清算完了したものとする。」を挿入する。
6 同末行「前掲乙第四号証及び」を「原審における」に改める。
7 一二枚目表一行目「いずれも」を削る。
8 同八行目「本件二口」の次に「及び前記二五〇万」を加入する。
二1 ところで、本件二口の貸金および大木ミヨ名義の二五〇万円のそれぞれにつき、弁済期、利息、損害金の定めが別表(一)記載のとおりであること、本件和解のなされた時点で各弁済期までの利息がすべて支払いずみであったことは当事者間に争いがないので、もし弁済当事者間に特段の合意又は意思表示がなかったとすれば、控訴人が昭和三六年七月一六日に受領した八三〇万円は、民法上は第四九一条に定めるところに従い損害金ならびに元本に充当されることとなるものであるところ、その計算関係は別表(一)、(二)記載のとおりであることは計数上明らかである。
2 控訴人は右八三〇万円は元本に優先充当されることが弁済当事者間で合意されていたと主張し、なるほど前出甲第八号証(和解調書)には本件二口の債権につき、控訴人が債務者らに対し、元本債権のみの存在を認めさせ、利息損害金債権をすべて放棄する旨が記載されているので、一見したところ八三〇万円はまず三口の債権の元本に充当されることが当事者間に予定されていたかの如く考えられないこともないが、前認定のように本件和解条項中控訴人が本件二口の貸金債権のうち元本債権を除くその余の債権を放棄する旨の条項は、控訴人が税務対策上相手方と通謀してなした虚偽表示によるものであり、真の合意は三口の貸金の弁済額を合計八三〇万円とし、控訴人は右金員の支払いを受けたときは右三口の債権のその余の部分を放棄する旨のものであって、その際右弁済金の充当関係についてはなんら特段の合意ないし意思表示がなかったのであるから、控訴人の右主張は採用することができない。
3 また控訴人は、元本と利息及び損害金の合計額に満たない金員の支払により残金の支払義務を免除する場合には、特段の事由のない限り、まず弁済金を元本に充当し、次いで利息及び損害金の一部に充当して不足分の利息又は損害金の支払義務を免除するというのが当事者の通常の意思に合致するものとみるべきであるから、本件の場合においてもかかる充当方法によるべきであると主張する。しかし、右のような場合には、むしろ当事者は専ら一定金額の支払によって既存の債権債務の一切を完全に清算することのみを念頭に置いて合意するもので、この場合元本金額は弁済金額の合意につき基準として重要な意味をもつとはいえ、元本金額だけの弁済ではなく、これを超えて一部利息、損害金をも含む金額の弁済により残余の債権を免除する旨の合意がされる場合においては、その細かい充当関係のごときは特段の必要のない限りこれを問題にしないのが通例と考えられるのであり、本件の場合においてもこれと異別に解すべき特段の事由を見出すことはできないのである(仮に控訴人が税務対策上の理由から主観的には充当関係を特定する必要を感じていたとしても、かかる事情はもともと相手方の与り知らないところであるから、特に控訴人においてその旨を表示しない限り、充当について特段の合意があったものとすることができず、控訴人が右の趣旨を表示したことを認めしめるような証拠は全く存在しない。)それ故、控訴人の上記主張も理由がない。
4 右のとおりであるから、民法上の充当関係によれば、控訴人主張の昭和三〇年分の損害金債権は三口とも弁済を受けたこととなり、控訴人の主張するようにこれにつき回収不能があったものとすることはできない。もっとも、民法上の弁済充当の関係は右のとおりであるとしても、税法上の関係においては、貸金の元本及び利息損害金の合計額の一部のみの弁済を受け残額の支払を免除することがやむをえないと認められる場合に、その残額の回収不能をもっていずれの債権にいわゆる貸倒れが発生したとみるべきかについては、民法とは別個に税法独自の観点からする考察を施す必要があると考えられなくもない。けだし、右の場合に弁済金をどの債権の弁済に充当するかは当事者間の民法上の関係では格別の意義をもたないのに対し、税法上の関係では、例えば本件のような所得税法上の雑所得に属する非営業貸付金の利息損害金の場合、かかる債権について回収不能が生じたのと元本債権についてこれが生じたのとでは、税法上の意義及び効果を異にするものだからである。すなわち、本件貸倒れ発生当時の所得税法の下では、元本債権の回収不能による損失は非営業用資産の損失として必要経費への算入も認められないのに反し、利息損害金の回収不能の場合には本件のように過年度所得税についての更正ないしは不当利得返還の問題を生ずる可能性があり、したがって一部弁済金はまず元本債権の弁済に充当し、残金を利息損害金に充当するという計算方法をとるのが納税者にとって有利ではないかという問題が生ずるのである。しかしながら、この観点に立って考えても、そこから導かれる結論は、たかだか納税者が当該一部弁済金の受領、残金免除をした段階において、特に右のような充当方法をとることを明らかにし、この点について合意がなされた場合にはこれを承認すべきではないかという議論を生ずるだけであって、かかる措置がとられなかった場合においても当然にまず元本債権が優先的に弁済され、次いで逐次旧い年度からの利息損害金債権の弁済に充当されるものとするのが税法上妥当な解釈であるとまではいうことはできず、むしろ税法上の観点からすれば、現実に支払われた金員は、原則として債権確定主義の下において過年度に収入として把握された利息損害債権がその際年度順に現金収入として実現されたものとして評価し、計算すべきものと解するのが相当というべきである。そうすると、結果的には民法の法定充当によった場合と異ならないことになり、結局本件においては前述のように控訴人の本件昭和三〇年度分の利息損害金債権につき回収不能による貸倒れは発生しなかったということになるのである。
三 以上説示の次第で、その余の争点について案ずるまでもなく、控訴人の本件請求は失当であることが明らかであり、これを棄却した原判決は、理由はともかくその結論において正当である。よって本件控訴はこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中村治朗 裁判官 石川義夫 高木積夫)
<以下省略>